しまの島

ふらっと日常。

【R.P.ファイマン】【ご冗談でしょう、ファイマンさん】下巻・感想

上記の本を読了した感想です。記憶違いとか勘違いとかの可能性あり。

ネタバレ等気にしていませんので悪しからず。

 

 

 

 

あらすじ

ノーベル物理学賞を受賞した学者・リチャード . P . ファイマンの人生の回顧録。短編が複数収録されている。

 

 

感想・下巻

初っ端の小話から、ファイマンがギャフンと言わされている話が出て来て面白い。やるな、ポール・オーラム。10の100乗のタンジェントってそんなに難しいのかな〜って検索して見たら、プロジェクトが設立されるくらいの難問らしい。それをパッと出題できるとはさすがです。

ファイマンがブラジル行きのために、ポルトガル語を習う話も出てくる。ファイマンはその後に日本語も勉強しているし、さらには絵を描いたり(個展まで開いている)、マヤ文明について勉強していたりするから、本当に好奇心旺盛な人だと感じることができる。それが、ファイマンの本質でもある。やっぱり難しい話は母語で聞くに限るよね。講義や発表を全部ファイマン式ポルトガル語でやるとは恐れ入る。毎日新聞で勉強したりしていて、まさに一生勉強である。

ファイマンは上下巻通して、上辺だけの知識を大いに批判している。これは身につまされる話だ。同じような問題を東大ロボットプロジェクトのAI研究者・新井紀子も提言しているから、ファイマンの時代から続く、教育における大きな問題の一つだと感じる。文章として知識を記憶してはいても、それを実際の例に適応して考えることができないのでは、どうしようもない、とファイマンは批判している。同時に、質問とは、自分が理解していないことを示すものであるから、するべきではないという風潮にも批判を行っている。ファイマンは学生からの質問から研究の着想を得ることもままあるようだったので、なおさらそう思うのだと考える。実際に、ファイマンは講義が始める前に毎度学生に質問があるのか聞くようにしていたようだ。下巻では、ブラジルの教育批判をメインにしている。しかし、上部の知識の問題はブラジルだけあるものではない。上巻では、アメリカの名門大学で、曲線の極小点では傾きが0になるという知識を実際例に適応できない学生が多くいたことに言及していた。ファイマンのいう「上辺だけの知識」とは、新井紀子のいう「意味を理解せずに、単語だけ覚える」であると私は考える。新井は、現在の教育法では、文章の意味を理解せずに、キーワードだけ覚えることを「勉強」と認識してしまう子供が数多くいることに問題を感じている。キーワードを覚えることは、近年発達しているAIでもできることであり、そのような技能しか持たない人は仕事を奪われる可能性が高いと考えているのだ。どこかの本で(多分クリステンセンの「イノベーションへの解」)、人は訓練をすれば、ある一定の水準までは何かをする技能を身につけることができる、と読んだことがある。本に書かれた知識をいかに現実世界に適応する力を身につけさせることができるかどうかが、今後の教育法の課題になるのではないかと考える。

教科書選定の話も、これまた身につまされる話である。いくら数を寄せ集めたところで、集めたものが正確性と信頼性に欠けるなら、意味のないものなのである。実験をするときは、しっかり勉強して真面目にやらないとな...。出てきたデータがただの無意味な群衆になってしまう。ちなみに、章題を見たときに、またファイマンが面白いことやるのかと思ってしまったのはここだけの話。

キャルテクにずっと在籍することに決めたのも、なんと言うかファイマンらしい。わりかしどうでもいいことを考えるくらいなら、ずっと物理ことを考えていたかったんだろうな〜。本では、こんなこと(いろいろと悩むこと)我慢できん、みたいな書き方されていたけど、物理のとこを考える思考体力を残しておくため、余分には頭を働かせたくなかったんだと思う。うん、きっとジョブスと同じだな!

締めには、ファイマンの科学者としての矜持が語られている章が入っている。理系の学生さんには特におすすめ。

 

続編の「困ります、ファイマンさん」も読みたいな。チャレンジャー号の調査委員会の話が入っているらしい。図書館にはないみたいだから、買うか...。